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珠洲の歴史

    • 1954年
    • 珠洲郡内三町六村が合併し、珠洲市が誕生
    • 38,157
    • 1964年
    • 国鉄能登線全線開通
    • 33,481
    • 1968年
    • 能登半島国定公園に指定
    • 31,417
    • 1969年
    • 能登の揚浜製塩用具が、国の重要有形民俗文化財に指定
    • 30,883
    • 1975年
    • 飯田港- 佐渡小木港にカーフェリー「かもめ」就航
    • 29,564
    • 1978年
    • 「かもめ」運行中止
      珠洲焼の再興開始
    • 29,107
    • 1988年
    • JR能登線が廃線
      第3セクター「のと鉄道」運行開始
    • 26,216
    • 2003年
    • 能登空港開港
      珠洲原子力発電所の計画凍結申し入れ
    • 20,206
    • 2005年
    • のと鉄道能登線廃線
    • 19,376
    • 2007年
    • 「能登里山マイスター」養成プログラム開講
    • 18,530
    • 2009年
    • 「奥能登のあえのこと」がユネスコの無形文化遺産に登録
    • 17,698
    • 2011年
    • 「能登の里山里海」が世界農業遺産に認定
      佐渡島の朱鷺が飛来
    • 16,980
    • 2014年
    • 珠洲を舞台にした映画「さいはてにて」公開
    • 15,948
    • 2015年
    • 「能登のキリコ祭り」が文化庁日本遺産に認定
    • 15,533
    • 2017年
    • 奥能登国際芸術祭2017開催
    • 14,750
    • 2018年
    • 「SDGs未来都市」に選定される
    • 14,229
    • 2021年
    • 奥能登国際芸術祭2020+開催
    • 13,700

奥能登・珠洲

奥能登国際芸術祭の舞台となる奥能登珠洲は、日本海に突き出る能登半島の最先端に位置します。
海上交通が盛んだった時代、北前船の寄港地としても栄え、多くの文物が交易される最先端の地でしたが、陸上交通の発展とともにさいはての地になります。
1954年に3町6村が合併して珠洲市となった当時の人口は38,000人でしたが、現在は約13,000人まで減少し、本州で最も人口の少ない市となりました。
しかし、土地に根付いた様々な伝統や祭礼、食文化などが「能登の里山里海」として世界農業遺産に認定され、能登を代表する祭礼「キリコ祭り」が日本遺産に認定されるなど、最果て故に残された「忘れられた日本」とも言える姿が今もなお感じられる土地でもあります。

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