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市民総参加型プロジェクト

珠洲の大蔵ざらえ

Suzu Okurazarae

奥能登珠洲―能登半島の先端に位置し豊かな里山里海に囲まれたこの地はかつて、海運の結節点として多様な交易のある「最先端の地」でした。しかし現在では、高齢化率が50%を超え、おじいちゃん・おばあちゃんが一人で家を守り、空き家もちらほら。こうした家々の蔵には、代々残されていた民具や地域の財産が手つかずの状態になっているはずでは。

珠洲の大蔵ざらえプロジェクトは、そうした眠ったままの「地域の宝」を思い出や記憶とともに市内一円から集めて整理する地域の一大プロジェクトです。地域住民、サポーターらの協働で集められた道具たちは、専門家が調査、アーティストが作品へと「活用」―モノを主役とした劇場型民俗ミュージアムを開設すべく、現在準備を進めています。 

大蔵ざらえ日誌Vol.01 蛸島 中谷家 / 2020.11.09

中谷家の蔵には、
五島列島の鯖漁師たちが集った酒店の濃い記憶が眠っていた。

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写真左から事務局スタッフ、雅子さん、淳子さん、淳子さんの旦那さん。

あのころ蛸島の港は、
さば漁船が入港するたびに、
そりゃーもう大変で。

中谷家の志(し)さおばば、ふみかあちゃんが若かった頃、蛸島の港は、遠洋の船が繁く寄港する賑やかな港だったそうな。多くは、五島列島から。時に遠く北海道の港からも。多くはさばの巻き網漁。そしてイカの季節にはイカ漁。その漁の合間をぬって寄港しては、酒やらビールやらたばこやら食料品やらを一気に積み込み、また海へと出て行ったという。

「どんどんどんって、何時でも雨戸叩いて起こすんです。船が港に着くと。それがどんなに遅い時間であっても。次の朝には出港するなんてときは、3、4時間の間にバ ーってビールとか日本酒とか買って、タバコとか食料品とか雑貨とかもみんな近所の店で買って回って、港の船に運ばせるんです。」(雅子さん) 

(注1)
角打ち:角打ち とは、 酒屋の店内において、その酒屋で買った酒を飲むこと。また、それができる酒屋のこと。また上記意味合いから、安く飲むことができる立ち飲み屋を「角打ち」と表現する店もある。 枡で酒を飲むこと。(Wikipedia) 

中谷商店は、商品も売る居酒屋さん。っというより、酒も飲める酒屋さんと言った方が正しいのかもしれない。角打ち(注1)と一般には呼ばれた、昔よくあった形態の酒屋さん。船が着くたびに中谷商店は、日本酒やビールや酒のアテを買いにくる店になると同時に、海の男たちが夜通し酒を飲み、陸(おか)での貴重な時間を過ごす場所でもあった。船が港にいる間は、その店は何時までもずっと開いていたし、何時までも船乗りが飲んだくれていたし、何時までも酔い潰れた男が店の隅で寝ている、そんな場所だった。

  「ずっと船に乗って、海で気を張っているからね、陸(おか)にあがると精神的にほっとするんです。それでうちで酒を飲む。当時は中卒で働く多感な時期の子が多かったから、若いのに酒を飲まされたり、タバコを吸ったりで。気持ちが追いつかない子もいました。うちの母が、酒飲むだけじゃなくて寝なさい、休みなさいって言うのです。そうすると仏間のところとかにごろ寝して、そういう休憩所にもなってましたわ。彼らにとって、ふみかあちゃんは、親のような存在でした。だからそこに人が集まっていたんでしょうね。」(雅子さん)

  「うちを家のように、店を開放しとったんですね。人と人とのふれあいってものがあるから長続きしたんでしょう。若いあんちゃんが結婚して子どもができたって、ふらっと来たりね。蛸島の方と結婚されたあんちゃんもいましたよ。」(雅子さん)

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三郎とおちゃん(父)が撮影した、昔の蛸島漁港。

蛸島の中谷商店あたりは、 さまざまな商店や銀行、娯楽施設の立ち並ぶ、銀座のような場所だった。

お宮さんの近くにある中谷商店跡地は、“本仲町通りʼʼと呼ばれ、東京の銀座を思わせる場所だったという。そこには、銀行、電気屋、風呂屋、酒屋、薬局、下駄屋、豆腐屋、映画館、パチンコなどが立ち並び、今の蛸島の町からは想像つかないような賑わいにあふれていた。船で潤う街だった、蛸島の街は。
 
「近くの薬屋・タバコ屋もにぎわうし、塩や醤油や味噌を売っている店やらも全部にぎわっていました。そこの風呂屋の高砂湯も、時間は22時までっていうけど、船が入 ってくるとばあっと風呂屋も開いて船のみんなが一斉にお風呂に入っていました。船でこの町は潤っていたんです。漁港に船がつくと、ここらへんの町の人がみんな、網から魚を獲るのを手伝っていました。良いお金になるんです。(うちの店も)日本酒やらビールやら醤油やらをケースごと買って積み込むから、出港すると棚が全部空になってました」(雅子さん)

  「(当時)石川県では漁獲量が金沢に次いで蛸島港が2位で。七尾でもなく。蛸島漁港は栄えていた。浜田の漁業組合が大きかったよね。今はもうないけど。あんとき何億もの漁船を作ったって子供のころに聞いてて。何億もの立派な漁船をね。イカ釣り船団もたくさんあったから、小学生の時鼓笛隊で紙テープで(船を)送った。小学生の時はみんなパレードをして、港で。」(淳子さん)

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中谷家の蔵の様子。

中谷家の蔵は、
当時の酒店の商売を想像させる 道具たちでいっぱいだった。

日本酒の一升瓶ケース、茶箱、食品の木箱、食器類、御膳、鍋や釜、木桶、たらい、かけや、こめあげざる、せいろ、すり鉢、おか持ち、ところてん突き、杵、臼、、、中谷家の蔵は、かつての酒店の毎日の暮らしを想像させる道具たちであふれていた。

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「日火消しの壺って、ご存じですね?囲炉裏で炭をたくでしょ、そしたら寝る時危ないでしょ。焼け残ったのをここに入れて蓋をしておくと夜の間は安心だから、また次の日に火を起こすときにそれを使ってね。」(雅子さん)

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「この桶、味噌を作るときにつかっとった桶なんですよ。その当時、家庭でみんな味噌を作ってたんです。」(雅子さん)

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「(近所の)塩屋が閉店して、専売の塩の看板をうちらが引き継いで。そう、あれが塩の看板で、あれがないと塩は売れないから。」(雅子さん)

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「三郎とおちゃんは、カメラの趣味もあったから、カメラで家に来る長崎県の牛深(うしぶか)の若いあんちゃんなんか、よく写真を撮っていました。」(雅子さん)

「あ々そう、納屋にあったそりのことですが、志さおばばが飯田の市に買い出しに行く時、冬の時期に使ったそうです。リアカーとそりを使い、2日、7日の市に飯田まで行ったそうですよ。これまでは大変なので三郎とおちゃんは、まだ車が走ってない頃に免許を取り、車を買って、仕事前に市の買い出しに行ったそうです。父は本当に車とカメラが大好きでした。」(雅子さん)

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中谷家で民具の収集作業を行う事務局スタッフ。

蔵ざらえから見えてきた 酒店の在りし日の姿と 港の繁栄。

蔵に残る道具たちから見えてくるかつての蛸島の街の暮らし、姿。日本海の漁港として重要な位置をしめていたこと。遠洋漁船が入港するたびに、五島列島や北海道の漁師で大賑わいになっていたこと。そして、それによって街のさまざまな店が潤い、経済が大きく回っていたこと。

次の大蔵ざらえが、またいっそう楽しみになりました。

大蔵ざらえは、このように行われます

情報入手!

事務局に、連絡が入ります。
「うちの蔵にも、昔のものが眠ったままだよ」
「おーい!うちにもあるよー」

下見

どのようなものが蔵にあるか、事務局が一度伺います。
蔵を拝見したり、お話を伺ったりします。

回収

民具の回収活動はサポーターと一緒に行います。
蔵の奥から、まだまだ出てくる。
時には用途が分からないものも?

聞き取り・調査・仕分け

回収後は、寄贈者の方に民具の思い出や、記憶の聞き取りを行います。
ご先祖の思い出話で涙ぐむ場面も...

活用!!

大谷保育園を始め保管をしている場所にアーティストを案内し、道具を見てもらいます。その後活用したアート作品に!

あなたの蔵にも大蔵ざらえがやってくる。

大蔵ざらえプロジェクトで発掘・活用されたお宝たちは、
奥能登国際芸術祭2020+ の作品プロジェクトのひとつとして、大谷地区・旧西部小学校体育館を舞台に公開されます。
ぜひご期待ください。

大蔵ざらえプロジェクト

総合ディレクター:北川フラム
キュレーション:南条嘉毅

参加アーティスト:大川友希、OBI、久野彩子、世界土協会、竹中美幸、南条嘉毅、橋本雅也、三宅砂織
歴史民俗学アドバイザー:川村清志(国立歴史民俗博物館) 
会場空間設計:山岸綾
特殊照明:鈴木泰人
造形・演出サポート:カミイケタクヤ 
映像記録:映像ワークショップ