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市民総参加型プロジェクト

珠洲の大蔵ざらえ

Suzu Okurazarae

奥能登珠洲―能登半島の先端に位置し豊かな里山里海に囲まれたこの地はかつて、海運の結節点として多様な交易のある「最先端の地」でした。しかし現在では、高齢化率が50%を超え、おじいちゃん・おばあちゃんが一人で家を守り、空き家もちらほら。こうした家々の蔵には、代々残されていた民具や地域の財産が手つかずの状態になっているはずでは。

珠洲の大蔵ざらえプロジェクトは、そうした眠ったままの「地域の宝」を思い出や記憶とともに市内一円から集めて整理する地域の一大プロジェクトです。地域住民、サポーターらの協働で集められた道具たちは、専門家が調査、アーティストが作品へと「活用」―モノを主役とした劇場型民俗ミュージアムを開設すべく、現在準備を進めています。 

大蔵ざらえ日誌Vol.04 三崎地区 坂本家 / 2021.5.21

坂本家の蔵には、
江戸時代からつづく
珠洲の歴史の記憶が眠っていた。

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冬の須須神社、鳥居の様子

地域の歴史は、
平安の時代に遡る。

三崎町は、平安の時代からつづく歴史ある地域。第10代祟神天皇の時代に日本海側一帯の守護を目的に創建された須須神社も、ここ三崎町にある。渡り鳥が飛来する地としても有名で、雁の池には、毎年多くの渡り鳥が北の国から飛来する。今回の大蔵ざらえの舞台は「坂本家」。天気がいい日には立山連峰や佐渡島なども見渡せる三崎町の伏見地区に建つ、能登瓦が見事な築180年の大きな家だ。かつてここは、北前船で財をなした廻船問屋だった。

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坂本家の様子

北前船とともに始まった
坂本家の歴史。

海が物流の中心だった江戸時代、北前船が日本海を往来し、北や南の産品や金銀を積んで奥能登珠洲の港に頻繁にやってきた。能登産品を積み込んで出港し、異国の産品とともに帰ってくる。その豊かな循環が、この地に大 きな富と繁栄をもたらしていた。 坂本家の初代は矢形屋七郎兵衛(やがたやしちろうべい)さん。当時の成長産業、廻船ビジネスで成功し、家を大きく発展させて子孫につないだ。「七郎兵衛さんは7番目の子どもだったそうですが、持ち前の商才で財をなし、分家して、この家を大きくしたんです。」と教えてくれたのは現在の当主、6代目の坂本市郎(いちろう)さん(60)。財の大きさも半端なく、初代が残した財で3代目までは働かなくても食べていけるほどの裕福さだったようだ。しかし、その勢いは明治に入ると急変する。 陸上交通時代の到来。坂本家は廻船問屋を廃業し、方向転換していく。地主ビジネス、そして酒造、養蚕。その経営の多角さは、今も敷地内に残る米蔵や味噌蔵、酒蔵な ど多様な蔵から見てとれる。そして農地解放でさらに広 大な土地を手放した坂本家は、四代目の七郎(しちろ う)さんの代に、また新たな産業へと進出する。それが瓦産業だった。

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蛸島地区の様子

能登瓦の激動と坂本家の激動

珠洲を訪れると、黒々とツヤのある美しい瓦屋根の家が多いことに気づく。「能登瓦」。粘土を成形し乾燥させた後ガラス質の釉薬をかけて高温焼成した能登瓦は、耐 寒性にすぐれ、北陸各地で愛される人気の瓦だった。その昔、珠洲は能登瓦の一大生産地だったのだ。三崎町の海岸を歩くと、波に削られて角が丸くなった瓦が多く見つかるのは、この地域で栄えた瓦産業の名残だ。坂本家の瓦は、富山や新潟、佐渡島へと数多く出荷されてい た。当時の瓦製造は全て手作業。最盛期には買い付けに来た商人が瓦の完成を待って家に泊まり込むこともあっ たそうだ。しかし、その栄華はまた突然の終焉を迎え る。工場生産されるオートメーション瓦の登場だ。 
「仕送りができなくなる。」市郎さんが20歳の時に実家から急な電話が入った。愛知の三州瓦が工場生産を始め、瓦産業に革命が起きて、能登瓦が売れなくなったのだ。圧倒的なスピードで大量生産される三州瓦。珠洲も後を追うように機械化に踏み切るが、時すでに遅く。珠洲の瓦産業は衰退していく。

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珠洲焼資料館、展示の様子

 平安時代に栄えた珠洲焼も
この時代に復興する 

悪いことばかりではない。日本海側を中心に栄えた能登固有の焼き物「珠洲焼」が復活をとげるのもこの時代だ。平安時代末期から室町時代後期にかけて珠洲エリアで盛んに作られた珠洲焼は、中世日本を代表する焼き物の一つ。室町時代に栄華を極めながら忽然と姿を消し、幻の古陶と呼ばれる存在だった。坂本家5代目の好 二(こうじ)さんが400年の時を経たその復興に携わる。手作業で作られる珠洲焼には、瓦産業で培った窯業の技術が欠かせなかったのだ。そして現当主市郎さんも30歳で珠洲に帰って窯焚きの手伝いをすることになる。かつての酒蔵をアトリエに改造し、現在も陶工として精力的に作品を作り続けている。

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瓦の成型に用いる木型。

坂本家の
家業の変遷を伝える道具たち

坂本家の蔵からは、家業の変遷を伝える道具たちが、数多く発見されている。
能登瓦を作っていた時の道具だろう。板状に伸ばした粘土を瓦の形に整形する木型のような道具がたくさん出てきた。機械生産では生みだせない手作り独特の能登瓦の 風合いは、この道具で作られていたのだ。 
養蚕に関わっていた時代のものだろうか。繊維や織りもの関連の道具もたくさんでてきた。糸ぐるま、糸巻き機。蚕を育て、糸をとり、糸 をよって、できた糸を染め、糸を織る。その工程全体に関わっていたであろう当時の姿が蘇る。

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【糸車】
糸を巻き取るのに用いる手動式の回転車。

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【蚕箔】
蚕の飼育に用いる。

劇場型民俗博物館
「スズ・シアター・ミュージアム」

大蔵ざらえで集まったものたちが集結する場所の名前が、正式に決まった。劇場型民俗博物館「スズ・シアター・ミュージアム」。劇場型と名づけられた独特の展示コンセプトで、大藏ざらえで珠洲各地から集められた民具たちに命をふきこんでいく。さあ、アーティスとは、これら民具をどんな形で生まれ変わらせるのか。その新たな試みに、期待が膨らむばかりである。

大蔵ざらえは、このように行われます

情報入手!

事務局に、連絡が入ります。
「うちの蔵にも、昔のものが眠ったままだよ」
「おーい!うちにもあるよー」

下見

どのようなものが蔵にあるか、事務局が一度伺います。
蔵を拝見したり、お話を伺ったりします。

収集

民具の収集活動はサポーターと一緒に行います。
蔵の奥から、まだまだ出てくる。
時には用途が分からないものも?

聞き取り・調査・仕分け

収集後は、寄贈者の方に民具の思い出や、記憶の聞き取りを行います。
ご先祖の思い出話で涙ぐむ場面も...

活用!!

大谷保育所を始め保管をしている場所にアーティストを案内し、民具を見てもらいます。その後活用したアート作品に!

大蔵ざらえプロジェクトで発掘・活用されたお宝たちは、
奥能登国際芸術祭2020+ の作品プロジェクトのひとつとして、大谷地区・旧西部小学校体育館を舞台に公開されます。
ぜひご期待ください。

大蔵ざらえプロジェクト

総合ディレクター:北川フラム
キュレーション:南条嘉毅

参加アーティスト:大川友希、OBI、久野彩子、世界土協会、竹中美幸、南条嘉毅、橋本雅也、三宅砂織
歴史民俗学アドバイザー:川村清志(国立歴史民俗博物館) 
会場空間設計:山岸綾
特殊照明:鈴木泰人
造形・演出サポート:カミイケタクヤ 
映像記録:映像ワークショップ