写真右:堂前美智子さん。1928年、姫路生まれ(現在92歳)。
堂前家の近くには、家と見間違えるような立派な薬師堂があり、薬師如来像が祀られている。寺とも神社とも見分けがつきにくい不思議な空間。「堂前」という珍しい苗字は、読んで字のごとくお堂の前からきているようだ。
美智子さんの亡くなった旦那さん、堂前重仁さんの先代は百姓で、先々代は船の仕事をしていたが、船が沈んで山や田んぼを売り払い、この家だけが残ったという。数代前は、この家で寺子屋をしていたことが珠洲市史(*1)にも記載されている。
「女学校を出たあと、自衛官として姫路で働いていた主人と知り合いました。そのあと一緒になって、長くても3年くらいでしょうか、転々と全国の官舎に住んで、主人が退官した昭和56年からここで暮らしています。この家には、古い神棚と仏壇があったので、とても気に入って。私が主人にこの家に住みましょうよって誘ったんです。古い物が好きですし。主人が、18年前(2002年)に他界してからは、ひとり暮らしです。ここから海に夕日が沈むところを見るのが好きで、それがなかったらたぶん…この家を出ていたかもしれない。今も毎朝海に向かって、手を合わしています。」
堂前家は、家の奥に2階建ての大きな蔵が1つある。そしてその蔵と隣接するように納屋がある。ご主人が亡くなられて、手が付けられずにいた蔵のことが、美智子さんにとってもずっと気がかりになっていたそうだ。
2020年3月にプロジェクトが始まって以来、初のボランティアサポーター(市内在住者限定)を入れた収集活動。
大蔵ざらえ当日。事務局スタッフのほか、地元のボランティアサポーター、そしてこのプロジェクトに参加するアーティストも全国から集まった。その数総勢30名。美智子さんからは「今日はこんなに集まってもらって…。どうぞよろしくお願いいたします」と挨拶をいただき作業開始。
蔵や納屋の中には、昔使っていた炬燵布団や座布団、風呂敷、漬物樽や寿司桶、味噌を作るための桶、蒸籠の蓋、重箱、やかん、御膳を含む食器類、昔着ていた洋服やたくさんの端切れも出てきた。
約200年前、天保時代の御膳。
重仁さんがまとめた、堂前家の船について。
重仁さんの父、堂前梅松さんが付けていたという日記帳。
蔵の2階、段ボールの中から出て来た方位磁石。
特に印象的だったのは、亡くなった旦那さんが使っていた時計や、航空自衛隊のときに着ていた制服。
「主人のものはとくに捨てるにも捨てられなくて」と話す美智子さん。
囲炉の鉄瓶に張られていた美智子さんの一句。
美智子さんがこの家の中で、一番好きな物だという仏壇。
堂前家で民具の収集作業を行う様子。
「これはなんでしょうね」
長い間眠っていた民具たちを目の前に、美智子さんの記憶がゆっくりと紡ぎ出されていく。私たちはその記憶から「もの」の背景や家族に思いをはせる。
現在92歳の美智子さん。元気なうちにと、加賀と函館にいる息子さんから同居を誘われていて、近く引っ越しを考えているという。
「今日のこと、日記に書いておきますね。」
珠洲に来てから1日も欠かさずにつけているという日記には、どんなことが残されたのだろうか。