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大蔵ざらえ日誌Vol.03 飯田地区 田畑家 / 2021.4.23

田畑家には、
珠洲の昔の暮らしを伝える品々が眠っていた。

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定期船が運行していた70年代の飯田港

飯田港は、
交通・観光のゲートウェイ。

田畑家のきくいさん(94)が住む飯田町は、珠洲市が生まれるずっと前から、珠洲地域の中心を担う街だった。
港には多くの船が行き来し、人や物資が大きく動き、それが商いを育くみ、街の賑わいをつくる。祭りの名前を冠する 灯籠山通り沿いに建つ田畑家の周辺には、多種多様な商店とともに、飲み屋や遊郭が軒を連ねていたという。全盛期の 賑わいは今はないが、2006年にはラポルトすずが生まれて地域の市民が集う場になるなど、今も、珠洲ライフの要の 街としての機能を果たしている。第一回の奥能登国際芸術祭で「さいはてのキャバレー」がつくられたのもこの港。 船に乗ってやってくる旅人たちが過ごす港の一夜が、この街の一角に再現された。 

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毎年7月に行われてきた燈籠山祭り(写真中央は「山車(やま)」/写真右は「山車」に人形を据えた「燈籠山(とろやま)」)

飯田町は、
春日神社がある
燈籠山祭りがある町。

飯田町は、700年以上の歴史を持つ春日神社がある町。春日神社の祭礼で、江戸時代から続く燈籠山祭りがある街でもあります。毎年7月20日に行われる燈籠山祭りは、祭りの盛んな珠洲の中でもとりわけユニークで、「燈籠山」といわれる巨大な山車を曳くことに特徴があります。 時代とともに豪華さを極めていった 「燈籠山」は、電線敷設がすすめられた大正期にいったん廃止され、「山車」だけでの運行を余儀なくされましたが、現在の姿は昭和58年に江戸の姿を復活させたもの。飯田の暮らしにあって、この燈籠山祭りを盛り上げ・発展させることは、とても大きな意味があったことが想像されます。

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慶弔儀式のおもたせ「カゴ盛り」を手に「ヨバレ」ついて話をするきくいおばあさん

地域の風習を伝える「ヨバレ」のことを、
きくいおばあさんが話してくれました。 

祭りにまつわる能登独特のおもてなし文化「ヨバレ」。親戚や知人、仕事でお世話になっている方々を自宅にお招きして祭り料理を振る舞う祭りの晩の重要行事です。60年前に燈籠山祭りを復活させた飯田の各家庭では、「ヨバレ」のおもてなしにも、他の集落に負けない力の入れようがあったことが想像されます。

「昔は、ヨバレは本当に盛大にしたねえ。家に御膳なけりゃ、恥ずかしいくらいやった。」 

最近は、仕出し屋に頼むことが多くなっているヨバレ御膳ですが、ひと昔前までは、朝から総出で料理をつくるものだったそうな。ある年の田畑家では、当時漁協で働いていた旦那さんが、長崎から来ていたイカ釣り漁船の船員を大勢連れてやって来て大変だったとも。「女たちは大変やったげんて」と笑いながら話すきくいさん。「祭り来たのきゃ」と気が立っては、「祭り終わったのきゃ」と胸を撫で下ろしたという。実はこのヨバレ、祭りのときに限ったことではなかったそうで、その他の慶弔儀式の場面でも、ヨバレは盛大に行われてきたそう。 

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【ねんねこ】寒い日に赤ちゃんをおんぶする時に使う。

 誕生した孫の健やかな成長を願い会う風習、
「孫渡し」にまつわる品々も出てきました。 

「孫渡し」とは、地域で古くから行われてきた孫誕生を祝う風習です。出産のために里帰りしていたお嫁さんが赤ちゃんを連れて嫁ぎ先に戻る際に、ベビーベッドやタンス、着物などの子育てに必要な道具類を持たせて帰らせる習慣で、古い家にはどこにも、孫渡しでいただいた品々がしまわれていたりするようです。「ねんねこ」は、お母さんが冬の外出時に、赤ちゃんをおぶったまま羽織れる冬の防寒具。風を通さないように綿をいれた厚手の生地が、能登の冬の寒さを想像させます。

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【着物】
孫渡しのときに贈られた着物。

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【子ども用の草履】
誕生した孫が、いつかこの草履を元気に履ける年頃まで健やかに育ってくれることを祈る気持ちが、これらの品にこめられているのですね。

劇場型民俗博物館
「スズ・シアター・ミュージアム」、
ご期待ください。

大蔵ざらえで集められた品々は、芸術祭参加アーティストたちによって整理・分類され、劇場型民俗博物館という新しいスタイルの民具展示に向けて準備が着々と進行しています。ご期待いただくと同時に、開館後はぜひ、珠洲の暮らしの歴史を伝える品々を見にお越しください。