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珠洲の話をしよう

奥能登フラム塾

Oku-Noto Fram cram school.

珠洲市の文化や産業をテーマに、 その分野で専門的なゲストをお招きし、
北川フラム総合ディレクターと芸術祭を応援するサポーター、
市民が一緒に、珠洲市の魅力を再発見することを試みます。

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第4回

珠洲の伝統建築、生活建築

「coming soon」

第5回

珪藻土

「coming soon」

特別編

南極会談

「coming soon」

第2回奥能登フラム塾 
テーマ:「珠洲のキリコ祭り」

第2回奥能登フラム塾のテーマは「キリコ祭り」。講師に羽黒神社宮司の高山さんと日本最大の「寺家のキリコ」を制作した
キリコ職人の菊谷さん、珠洲市食生活推進協議会飯田地区会長の乙脇さんを迎え、奥能登珠洲のキリコ祭りについて語りました。

神様が生まれ変わる儀式

曳山祭りや獅子舞などの様々な祭りがある中、圧倒的にキリコ祭りが多い奥能登珠洲ですが、キリコの発祥はお隣の輪島というのが定説とのことです。御神輿の灯りとして笹に提灯をつけた笹キリコが発祥と考えられています。
輪島にある舳倉島(へぐらじま)には、火の神様を祀る神社があります。舳倉島の神様が沖の彼方から陸にある松明を目指してやってくることで、海から来る女の神様と陸で待つ男の神様が出会い、毎年神様が生まれ変わるのだとか。珠洲には、藁を敷いてその上をキリコで渡る「火渡り」を行う集落も多く、これは再生の象徴でもあります。キリコ祭りは“神様が生まれる変わる儀式”としての意味合いが強いようです。


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輪島で発祥した後、形や形式が変化しながら伝播していきます。海を渡って様々に変化するキリコの軌跡は、キリコが動く時の囃子の音色からも感じられるそうです。例えば、内浦側に位置する珠洲市野々江町天神町(下記の地図参照)から三崎町伏見の拍子が外浦に面する輪島とほぼ同じにも関わらず、三崎町寺家から珠洲の外浦側の拍子は内浦側の能登町宇出津と似ています。これは、漁師が漁場を共有していたためと考えられおり、囃子だけではなくキリコ本体を譲ることもあったようです。
また、古くから海の交流があった新潟県の佐渡島には、小さい神社でも能舞台が境内に建っていることが多く、この能の三番叟の拍子がキリコ祭りの囃子に展化したという説もあり、キリコの伝播や進化には海路が切り離せないことが分かります。 


キリコ作りには、石川県の県木「アテ」の一種であるカナアテを使うことが一般的ですが、16メートルを超える「寺家のキリコ」はマアテが使われています。カナアテはそこまで大きくならないためマアテを使用しているそう。キリコ職人曰く、制作よりも巨大な木を探すことの方が難しいという。材となる大木を探して伐採した後、製材をかけてキリコの高さを決める四本柱の材を作るため、万が一大きな節があると製材した木を使えない可能性すらあるそうです。木の伐採から制作、組み立てまでを職人と集落が共に行うことで、キリコを核とした協働性が生まれることも祭りの重要な要素なのかもしれません。 

祭りでご馳走を出すことは全国的にも珍しくないですが、珠洲のヨバレは親戚、友人、知人を家主がもてなす独特な風習があります。かつては多くの家がごっつぉ(ご馳走料理)を作り、煮しめや昆布巻き、刺身、焼き物、酢の物、赤飯、お吸い物が一の膳に、おやっさまと呼ばれるような裕福な家では二の膳に揚げ物や蒸し物、茶碗蒸しが盛られたのだとか。
加えて、「コブタ」と呼ばれるお菓子や果物が入ったお土産が付くのが一般的で、祭りのご馳走が何よりも特別な料理であることが感じられます。招待を出していない客人が訪れることもしばしばあるので、ごっつぉを招待した人数よりも多く用意するのが一般的というのは珠洲の祭りの特徴のようです。芸術祭期間中にも多くの集落でキリコ祭りが行われます。昼にアートを鑑賞した後は、夜のキリコ祭りを楽しむことで何倍も奥能登珠洲を満喫することができること間違いなしです 。

奥能登フラム塾シリーズ

Oku-Noto Fram cram school.