最涯珠洲を語る

#09 アーティスト さわひらき

#09 アーティスト さわひらき

2017.09.09

さわひらき

さわひらき

さわひらき
1977年石川県生まれ。2003年ロンドン大学スレード校美術学部彫刻家修士課程修了。ロンドン在住。自身の心象風景や記憶の中にある感覚といった実体のない領域を、映像・立体・平面作品などで構成されたビデオインスタレーションで表現する。映像や立体造形物を巧みに操り、現実にはありえない光景を描きながら、どこか親しみを感じさせる世界を展示空間に生み出し、見る者の想像力に働きかける。近年は映像の配置を彫刻的に捉えた空間構成や、立体や平面作品を併置させるなど、映像と展示空間とが互いの領域を交差するような作品に取り組んでいる。

活動ゾーン:日置地区 旧日置公民館

陸路では
さいはての地とされる能登半島を
海からの視点で見ると、
いろいろ見方が変わってくる。
祖父の戦時中のエピソードから
海からの物語が構築された。

日置地区 旧日置公民館: 魚話
三面を海に囲まれた珠洲。陸からの視点では珠洲はさいはてであるが、海から見ればまったく異なるという。さわは、かつて珠洲で暮らしたことがある祖父が、海の交通によって一命を取りとめたという事実をふまえ、海からの視点をテーマとしたインスタレーションを展開する。地域へのリサーチを通して、海の記憶が紡がれていく。

もともと珠洲には父親を通じたご縁がありました。

実は父が珠洲で働いていまして。木の浦ビレッジというところなんですけど。金沢で大学の先生をしていたころから珠洲に学生を連れて研修にやってきたりしていたのですが、定年を機に珠洲に移り住んで町の皆さんと木の浦ビレッジをつくったんです。珠洲にはそういうご縁もありました。奥能登国際芸術祭から声をかけていただいたときに、同時期に複数のプロジェクトが進行してしまうので迷ったんですが、まわりの仲間はみんな「そりゃやるでしょ」って言っていて。はい。

戦時中に一命をとりとめた祖父の物語

じいちゃんが戦時中に警察官をやっていて蛸島の交番で働いていたんです。そのじいちゃんが脳いっ血になって倒れて、頭を冷やして安静にしないと危ないという状態になってしまったことがあったんです。で、ばあちゃんの実家が金沢で氷屋をやっていて、毎日じいちゃんの頭を冷やすための氷を送ってくれることになりました。氷は、七尾までタクシーで運び、その先は船で運んだらしいんです。結局一週間にわたって、七尾までタクシー、七尾港から飯田港まで船で氷を運んで、じいちゃんは意識を取り戻した。そしてじいちゃんは飯田港から七尾港まで船で運ばれ、七尾からタクシーで金沢の病院に運ばれて一命をとりとめたんですね。
珠洲とさわ家とはそういうご縁があるんです。たぶん父親はそのご縁に惹かれて、大学の教員時代に定期的に学生を連れて珠洲に来ていたんだと思います。社会文化経済学の先生で、町おこしとか村起こしを通じて、過疎化していく地域のお役に立ちたいって思っていた人なので、大学退任後この町に移住して、木の浦ビレッジを拠点とした活動をしています。

海からの視点で見直すことで見えてくる珠洲

芸術祭への参加が決まってから、祖父母の話を題材に作品をつくってみようと思って、いろいろ調べ始めたんですね。金沢から珠洲に氷を運ぶのに、七尾までタクシーでいって七尾から飯田までは船で運ぶって意味わからんって思いますよね。なんでそのままタクシーじゃだめなのって。なんか違和感があった。調べてみると、もちろん陸路はあったそうなんですが、その当時の能登の道は舗装もなくてガタガタだったみたいなんですね。それは氷を運ぶにもじいちゃんを運ぶにも難しい道だったから、船をつかった。バスもあったけど、近い町どうしを結ぶものしかなかったそうです。最速の移動手段は船だったんです。

で、陸路の行き止まりの半島を海からの視点で見ると、いろいろ見方が変わってくる。飯田は富山とか七尾とか新潟とかからの中継地点として大切な場所であったはずだ、とか。船を使うことは必然であったはずだ、とか。そうやって視点を変えてみることは面白いなあって考えて作品をつくっていきました。

旧公民館の味ある入り口から改装された講堂への流れ

旧日置公民館での展示は、最初の予定では講堂と図書室を使う構成だったんです。が、オープン一週間前の設営のときに現場に入ってやっぱり和室も使いたいなってなって思って和室を使うことになり、どうせなら裏口から入ったほうがいいなあってなって事務所をつかうことになり、そうして裏動線から表動線にまわっていく径路が決まりました。最後に入る講堂のリノベーションもうまくできあがっていたので、味のある公民館の入り口から入って改装された講堂に行き着く変化の流れをうまくつろうと考えていました。廊下で演出されている鳥のパラパラ漫画もこちらに来てからつくっています。このあたりツバメがものすごい多いんです。大群で移動してる。それでツバメの大群がいいなとなって、あの演出になっています。

作品をつくることで作家としての役割を全うする。

街おこしとか経済効果とか、芸術祭の論点はいろいろありますけど、僕は、作品を作ることだけが作家の役割だと思っています。だから、芸術祭についてよく語られる、街おこし的意味や経済効果的意味は意識しないようにしています。もちろんそれは重要な要素だと思います。

北川フラムさんや芸術祭のスタッフさんが何らかの意図をもって僕にこの場所を用意しくださったわけで、僕はその場所で自分がつくりたいと思う作品をつくることで作家としての役割を果たす。芸術祭の運営と作家には別の役割分担があるのかなと思います。ことし石巻、札幌、珠洲といくつかの芸術祭にかかわるなかで思った、芸術祭に対する自分なりの考え方です。
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